1997年7月1日火曜日

コーポレートガバナンスと企業文化

コーポレートガバナンス(企業統治)に関する議論が盛り上がりを見せている。要するに企業は誰のものか、だれが企業をコントロールするのかという問題である。これがなかなかむつかしい。

日本には、企業の中長期的な利益や従業員との関係を、短期的な業績(配当)よりも重視する独特の企業統治の伝統がある。かつてはそれが日本企業の強みともいわれてきた。しかし経済のグローバル化が進行するなか、企業統治のスタイルも英米型へ変化させ、もっと株主が企業をコントロールしやすくせねばならないと主張されるようになった。

資金不足から一転し資金余剰の時代となり、伝統的な銀行システムの企業コントロールが、機能しなくなっていることも背景にある。

しかし一方、株主だけではなく、従業員、顧客、債権者などの多くの利害関係者(ステークホルダー)の意向を尊重するべきだとの考えもまだまだ根強い。経営のチェックのために企業の中核である中間管理職を経営に参加させることを考えるべきだとする意見すらある。

このように企業統治をめぐっては多くの考え方があり、なかなかコンセンサスは得られない。英米型がよいとか、ドイツ型はどうだという議論が多いが、なにせ多様化の時代である。一般論ではなかなか割り切れないのである。

日本では株主の利益が無視されているという。しかし日本株主総会は米国の総会より強い権限を持っていることはあまり知られていない。日本の取締役会は経営トップの意のままになっていると非難される。しかし日本の取締役会が社長を罷免した例も数多く挙げることができる。社外重役のメリットが強調される。しかし米国では社外重役システムが重役の法外な高給を生みだしたと批判されている。従業員の参加が制 度化され「進歩的」とされるドイツでは、逆にこの制度の評判はきわめて悪く、大多数の企業は従業員を経営に参加させる義務のない有限会社形態を選択する。

結局は隣の庭は常に美しく見えるということかも知れない。企業統治の構造はそれぞれの国で異なるものの、なかなか完全なシステムと言えるものはない。

重要な点は、企業統治とは本質的にはミクロ問題であり、個別の企業の伝統・文化に大きく左右されることである。

例えば、住友においては、出資者、経営者、従業員などのステークホルダー間の家(イエ)的な関係が、近代・現代に至るまで濃厚に残っており、これが明治の初期や第二次大戦後の危機を乗り切るうえで大きな役割を果たしたことが知られている。このような伝統は大切にすべきだろう。一方で、同じ日本でも全く英米的な企業統治スタイルが機能している会社もある。

企業の伝統、文化は多様であり、企業統治のやり方も多様であってよい。大切なことは、個々の企業が、借り物でない自前の企業統治のシステムを、常に工夫し、決意を持って機能させることだ。

(橋本 尚幸)

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